2010年5月31日月曜日

取材される側と その記事

自分も大道芸人として、1回知り合いの作家に(新聞に記事も書いている)取材されて、写真もバッチリ
撮られて、新聞記事になったけど、なんか、その作家の言いたい事(記事)の"材料"にされた様な記事に
なってしまった。かれは、ブッダのことを書いて、その類型?として、具体例として、大道芸人の俺を
とりあげたようなかっこの記事になってしまった。もちろん、褒めた記事だけど、なんか、俺がブッダ?
かよう?という疑惑?や、戸惑いがそよぐ。やっぱり、記事を書く記者によって、事実(俺の大道芸人)
の様子が、偏向された様な、感じになる。事実は、記者によって、脚色されて、料理されて、御馳走?(記事)
となって、現れる。事実が、そのまま、記事には、ならないのではないか? どうしても、取材した記者の
思惑で、事実(取材された側)が、偏向(変更)してしまうのではないか? それでも、大道芸人の宣伝に
なったので、社会的には、見下されている大道芸人が、新聞記事に出ることによって、一応、社会認知
にはなっただろう。こちらのスペインの新聞では、けっこう、大道芸人の記事が出る。まあ、ようやく、
大道芸人も、りっぱな?一つの職業として、社会的に認められるようになったようだ。でも、まだまだ、
大道芸人を、"乞食"の延長として、考えているひとも多い。あ、あ、貧しい音楽人よ!って感じだ。
たぶん、産経新聞の記事だろうけど、バルセロナのオリンピックの時に、俺に直接話を聞かないで、
だれかほかの人に俺のことを聞いて、それを新聞記事にしたのを読んだことがあった。けど、内容は、
その人に話したことと同じに正確にかいていたけど、それは、本人に直接取材したかのように書く(読める)
のは、間接取材したのに、取材詐欺ではないだろうか? まあ、話した中身はちゃんと正確に書いていたから
文句をつけるのも、野暮かも知れないが? でも、それは、ちょっと、ないんじゃないのか?と思う。
他人から聞いた話なら、きちんとそれを書くべきだろう。それをだまっていて、あたかも、本人に直接
取材したかのような記事に、読めるのは、読まされるのは、どうか? 本人だけが事実を知っていて、読者は
新聞記者が、本人に直接取材して書いた記事と思って、記事を読んでしまう。よまされる?。のは、倫理的に
きびしく言えば、 "詐欺" だろう。それでも、書かれた中身は、俺がは話した内容と正確に同じだったから
良かったもかも知れない。でも、なんだか、府に落ちない。これで、いいんだろうか?

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