2013年4月27日土曜日

『スターリングラード』(Stalingrad)は、1993年のドイツの映画。ヨゼフ・フィルスマイアー監督作品。スターリングラード攻防戦で壊滅したドイツ第6軍の有様を、ドイツ側からの視点で描いている

『スターリングラード』(Stalingrad)は、1993年のドイツの映画。ヨゼフ・フィルスマイアー監督作品。スターリングラード攻防戦で壊滅したドイツ第6軍の有様を、ドイツ側からの視点で描いている

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スターリングラード (1993年の映画)

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スターリングラード
Stalingrad
監督ヨゼフ・フィルスマイアー
脚本ヨゼフ・フィルスマイアー
ユルゲン・ブッシャ
ヨハネス・ハイデ
製作ハンノー・フス
ギュンター・ローアバッハ
製作総指揮ミハエル・クローネ
マーク・デーモン
出演者トーマス・クレッチマン
音楽ノルベルト・ユルゲン・シュナイダー
撮影ロルフ・グレイム 他
編集ハンネス・ニーケル
配給日本の旗 東宝東和
公開ドイツの旗 1993年1月21日
日本の旗 1993年11月13日
上映時間134分
製作国ドイツの旗 ドイツ
スウェーデンの旗 スウェーデン
言語ドイツ語
ロシア語
製作費DEM 20,000,000
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スターリングラード』(Stalingrad)は、1993年ドイツの映画ヨゼフ・フィルスマイアー監督作品。スターリングラード攻防戦で壊滅したドイツ第6軍の有様を、ドイツ側からの視点で描いている。キャッチコピーは「この世でもっとも美しい、涙さえも凍るマイナス50度の氷の戦場」。

目次

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ストーリー [編集]

北アフリカ戦線から帰還し、避暑地で休養を取っていたドイツ兵達に出動の命令が下る。目的地は東部戦線の激戦地スターリングラード。だが彼らがそこで見たのは、栄光とは程遠い戦争の現実であった。死闘を繰り広げる彼らをあざ笑うかのように、ロシアの冬将軍が到来し、厳しい戦いを強いられることになる。

キャスト [編集]

  • トーマス・クレッチマン:ハンス・フォン・ヴィッツラント
  • ヨヘン・ニッケル:マンフレッド
  • ドミニク・ホルヴィッツ:フリッツ

関連情報 [編集]

登場する兵士の軍装や髪型は、ドイツ制作の映画ならではの考証の正確さを誇る。ドイツ軍の戦闘服は当時最も一般的であった36年型や40年型。43年型も見られる[1]
主人公たちが属するのは戦闘工兵 Sturmpionier で、障害物や敵陣を破壊するための訓練を積んだエリート兵科である。作中でも火炎放射器や爆薬といった工兵装備が登場する。
多くの兵士の背中には、実際のスターリングラード戦でも見られた飯盒ポンチョを携行するためのAフレームと呼ばれた小型のハーネスが取り付けられている(独: Tragegestell)。装備の調達は地元シュトルム社。現存する実物軍装品が稀少なため、西ドイツ軍やオーストリア軍の代用品が多く登場する。車輌ではソ連軍のT34/85型戦車が登場するが、本車が実際に登場したのはスターリングラード攻防戦以後である。またハノマーク・ハーフトラックの代用に同型のチェコ製改修型OT-810がそのまま使用されている。
劇中演じられる従軍牧師によるミサの場面では、宗教そのものがイデオロギーにも影響を与え、兵士たちの支えとなっていた状況が伺えて興味深い[2]
この映画で広く知られるようになったフォン・ヴィッツラント少尉役のトーマス・クレッチマンは、その後『戦場のピアニスト』では主人公のユダヤ人ピアニストを救った実在のヴィルム・ホーゼンフェルト大尉、『U-571』ではUボートの艦長、『ヒトラー 〜最期の12日間〜』ではエヴァ・ブラウンの妹の夫ヘルマン・フェーゲライン親衛隊少将を演じるなど、年齢を重ねるごとに役柄も出世している。

脚注 [編集]

  1. ^ FELDBLUSE The German Army Field Tunic 1933-45 Jean Delize著 Histry&Collection刊
  2. ^ AFTER THE BATTLE Number80 STALINGRAD-THE FILM by Karel Margry 1993年刊

外部リンク [編集]

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