2010年3月22日月曜日

傍観者としての日本人 : 日本人の民主主義

客観的な"日本人性" 傍観者としての日本人
日本に住んでいて、日本人の"性格"を客観的に把握するのは、難しいが、なかにはそれが
分かる人が居る。凡人は、外国に行ってみて、そこの土地の住民と日本人を比べて見てやっと
気が付く。しかしその土地に長く住まないと国民の"性格"などの行動規範は分かりにくい。
文春文庫の チェロと旅 : 1990版ベスト·エッセイ集 ; 日本エッセイスト·クラブ集 のなかの
吉村昭(吉村あきら)(作家)氏の"変貌の傍観者"[東京人 : 1989年9月号]は、そのひとつだろう。
···私が生まれ育ったのは、その家屋密集地帯の一つである。···
そうした所で住む人間は、それこそ足を開くどころか体を小さくして生きてゆかねばならず、
それが習性化して性格ともなっている。
子供の頃、母が口にする言葉はただ一つ。世間様の御迷惑にならぬように······と。
···町そのものが大きな共同住宅のようなもので、それ故に絶えず周囲に気を配りながらでなければ
いきてゆけない。たとえば、一軒の家の者たちが、手足を大きくひろげるような、思いのままの
生活をしたりなどすれば、ドミノゲームの並べた物が倒れてゆくようにつぐつぎに他に波及して、
あたかも蜂の巣をつついたように町全体が狂乱の巷になり、収拾がつかなくなる。
それを無意識ながら知っている住民たちは、ひたすら自分の我を殺し、控え目に控え目に、と
日々をすごす。···
このような控え目にということを信条に生きている人たちの中からは、決して政治、経済を
動かすような人が出るはずはない。···
社会を変革するエネルギーは、常に地方できざし、政治権力の中心地に津波のように押寄せる。
それは革命の定石で、明治維新、ロシア、フランス革命、紅衛兵の動きなどすべて軌を一にする。
世間様に御迷惑をかけまい、と、ひたすらあたりに気をつかっている人間たちには、そにおような
エネルギーが蓄積されるはずがない。煎じつめれば、社会の進歩に少しも貢献することのない、気の
弱い傍観者たちにすぎない。
大革命にかぎらず、小さな革命が絶えず東京に押し寄せている。当然のことながら、それは破壊を
ともない、その上に新たなものが作り上げられる。···
スペイン人は、じぶんを剥(む)き出して 生きている。自分を最優先して自分勝手に生きている。
たぶん大陸で生きている人間は、生存競争が激しいので、どこからでも大陸を伝わってスペインに
来れてしまうので、他人をおもんばかるゆとりなど、自分の不利益に直結するからだろう。それで
自分をどんどん押し出して生きてゆかねばならない。そうでないと他人から自分の領域や自由や
権利や都合をかすめ取られてしまう。横入りされてしまう。スペイン人はよく自分を守る(防衛する)
という言葉を使う。自分で自分の利益を守らないと、自分の権利をだれかに盗られてしまう。
権利という意識は、それが他人にかすめ盗られたと感じた時に発生する。
いつもだれかの事を考えて、他人の都合のために、家族のために、会社のために、
社会のために、国家のために、自分の権利を犠牲にしているのが、あたりまえの日本人
社会では、"権利"という意識は、生まれにくい。それで自分の権利を守る意識など
起こらないのだろう。自分の権利や都合は、取られっ放し。あまけに自分で自分の権利や
都合を他人に譲ってしまうのが、"美徳"と洗脳されてきているので、自分の権利を確保する
のは難しい。だから日本人の権利は、家族の親や、学校の教師や、会社の経営者や、国家の
支配者や、政府の役人や、市役所の役人や、他人にいつも盗まれている。日本人の都合は、
いつも 他人に盗まれている。まるで自分で自分の都合をつぶしているようなものだ。
だから日本人の日本社会での暮らしは、窮屈だ。生きているのが、息苦しい。他人のために
生きている人が多いから、自分の権利という空気を盗まれているようなものだ。権利という
空気を盗まれたら、窒息してしまう。多くの日本人は、自由(権利)という酸素不足で、あっぷ
あっぷして生きている。自分の権利や自由や私権や都合を犠牲にして、日本人は生きている。
日本が生きにくいなら、自分の権利を犠牲にするのは、止めて、自分の権利を大切にしよう。
自分の権利を守ろう。自分を守ろう。自分の利益を防衛しよう。自分を不都合に落とし入れるのは
止めよう。自分を控え目に生きるのは、止めよう。自分をきちんと生きよう。自分が死ぬ時に
ああ、面白い人生だったと言えるように、自分の人生をよく、たっぷりといきよう。じぶんの
人生を我慢するのは止めよう。自分の人生をちゃんといきよう。たった1回しか、自分の人生は
ないんだから。せめて自分の不利益になることは、やめようよ。自分の権利や利益や都合のために
努力しよう。自分の領域を狭めるのは、やめよう。自分の領域を拡げよう。せめて自分の権利は
自分で確保しよう。自分の権利や都合良くいきよう。
自民党政府は、替わったけれど、日本人民は、変わっていない。大きいものにまかれろ。
強いものにまかれろ。気の弱い人民は、もう止めよう。自分で、自分を押し出して生きよう。
控え目に生きていては、政治や経済を動かす人民(市民)にはなれない。これからは、自分を
押し出して、政治や経済を動かす人民(市民)になろう。そうしないと日本人の民主主義は、
まもれない。日本人の権利は、確保できない。いまこそ日本人のひとり一人が、問われている。
日本人は、なにをしているのか? 日本の動く市民は、何をしているのか? あなたは、何をして
いるのか? あなたは、動いているのか? あなたは、自分をちゃんといきているのか?

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