高木 仁三郎 (1938-2000)"高木 仁三郎"(たかぎ じんざぶろう、1938年7月18日 - 2000年10月8日)は、日本の科学者であり、脱原子力運動の中心人物であった。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校、東京大学理学部化学科卒業。原子力資料情報室の前・代表だった。 [略歴] *1961年 日本原子力事業入社 *1965年 東京大学原子核研究所助手となる *1969年 東京都立大学助教授に就任 *1972年 マックスプランク核物理研究所客員研究員 *1973年 東京都立大学退職 *1974年 プルトニウム問題を考える自主グループ「プルトニウム研究会」を組織 *1975年 原子力資料情報室専従世話... |
人物名ヨミ | タカギ ジンザブロウ | 人物別名 | Takagi, Jinzaburo |
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生年 | 1938年 | 没年 | 2000年 |
職業・経歴等 | 物理学者 |
書名 | 著作者等 | 出版元 | 刊行年月 |
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反原発、出前します-原発・事故・影響そして未来を考える 高木仁三郎講義録 | 高木仁三郎[述]・監修 ; 反原発出前のお店編 | 七つ森書館 | 2011.4 |
チェルノブイリ原発事故 | 高木仁三郎著 | 七つ森書館 | 2011.4 |
原子力神話からの解放-日本を滅ぼす九つの呪縛 | 高木仁三郎著 | 講談社 | 2011.5 |
食卓にあがった放射能 | 高木仁三郎, 渡辺美紀子著 | 七つ森書館 | 2011.4 |
いま自然をどうみるか | 高木仁三郎著 | 白水社 | 2011.5 |
鳥たちの舞うとき | 高木仁三郎著 | 七つ森書館 | 2004.3 |
高木仁三郎著作集 | 高木仁三郎著 | 七つ森書館 | 2003.1 |
核燃料サイクル施設批判 | 高木仁三郎著 | 七つ森書館 | 2003.10 |
子どもたちの未来 | 高木仁三郎著 | 七つ森書館 | 2002.7 |
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高木仁三郎
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高木 仁三郎(たかぎ じんざぶろう、1938年7月18日 - 2000年10月8日)は、日本の物理学者、理学博士(東京大学)。 専門は核化学。群馬県前橋市出身。父は開業医。群馬大学教育学部附属中学校時代の同級生に豊田有恒がいる。群馬県立前橋高等学校、東京大学理学部化学科卒業。
政府の原子力政策について自由な見地からの分析・提言を行う為、原子力業界から独立したシンクタンク・原子力資料情報室を設立、代表を務めた。原子力発電の持続不可能性、プルトニウムの危険性などについて、専門家の立場から警告を発し続けた。
特に、地震の際の原発の危険性を予見し地震時の対策の必要性を訴えたほか、脱原発を唱え、脱原子力運動を象徴する人物でもあった。原子力発電に対する不安、関心が高まった1980年代末には、新聞、テレビ等での発言も多かった。
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略歴 [編集]
- 1961年、日本原子力事業(日本原子力事業総合研究所核化学研究室)に勤務。
- 1965年、東京大学原子核研究所助手となる。
- 1969年、東京都立大学助教授。
- 1972年、マックスプランク核物理研究所客員研究員。
- 1973年、東京都立大学を退職。
- 1974年、プルトニウム問題を考える自主グループ「プルトニウム研究会」を組織。
- 1975年、原子力資料情報室専従世話人となる。
- 1988年、反原発運動全国集会事務局長。
- 1992年、多田謡子反権力人権賞受賞。
- 1993年、サンケイ児童出版文化賞受賞。
- 1997年、ライト・ライブリフッド賞(Right Livelihood Award)受賞。
- 2000年、大腸癌で死去。
地震による原子力災害への警鐘 [編集]
1995年、『核施設と非常事態 ―― 地震対策の検証を中心に ――』[1] を、「日本物理学会誌」に寄稿。「地震」とともに、「津波」に襲われた際の「原子力災害」を予見。「地震によって長期間外部との連絡や外部からの電力や水の供給が断たれた場合には、大事故に発展」[1] するとして、早急な対策を訴えた。
福島第一原発 について、老朽化により耐震性が劣化している「老朽化原発」であり、「廃炉」に向けた議論が必要な時期に来ていると (1995年の時点で) 指摘。 加えて、福島浜通りの「集中立地」についても、「大きな地震が直撃した場合など、どう対処したらよいのか、想像を絶する」と [1]、その危険に警鐘を鳴らしていた。 (以下は、引用)
『核施設と非常事態 ―― 地震対策の検証を中心に―― 』 「日本物理学会誌」 Vol.50 No.10, 1995 (全文の閲覧が可能)
- 『考えられる事態とは、(中略) 地震とともに津波に襲われたとき 』
- 『原子炉容器や1次冷却材の主配管を直撃するような破損が生じなくても、 給水配管の破断と 緊急炉心冷却系の破壊、非常用ディーゼル発電機の起動失敗といった故障が重なれば、メルトダウンから大量の放射能放出に至るだろう。』
- 『老朽化原発が大きな地震に襲われると、いわゆる共通要因故障(一つの要因で多くの機器が共倒れする事故)に発展し、冷却材喪失事故などに発展していく可能性は十分ある。』
- 『原発サイトには使用済み核燃料も貯蔵され、(中略) 集中立地が目立つ(福島浜通り、福井県若狭、新潟県柏崎、青森県六ヶ所村など)が、どう対処したらよいのか、想像を絶する (中略) これから徹底的に議論し、非常時対策を考えて行くべき。』
- 『「原発は地震に対して大丈夫」という言い方は、上述のような疑問や不確かさに対して、すべてを楽観的に解釈した場合にのみ成り立つもの(中略)。 国や電力事業者は、「原発は地震で壊れない」ことを前提にしてしまっているため、そこから先に一歩も進まず、地震時の緊急対策を考えようとしない。』
- 『「原発は壊れない」建て前になっているため、今のような機会(注:阪神大震災の教訓) を生かして、原発が被災した場合の緊急時体制や老朽化原発対策などを真剣に考えるという姿勢もまったくみられない。』
- 『 そのような事態を想定して原発の安全や防災対策を論じることは、「想定不適当」とか「ためにする議論」として避けられてきた。 しかし、(中略) 考えうるあらゆる想定をして対策を考えていくことが、むしろ冷静で現実的な態度と思われる。』
- 茨城県・東海第二原発でも、外部電源が途絶、非常用発電機にも障害が発生。 翌月の地震では、宮城県・女川原発で外部電源の遮断により燃料プールの冷却が停止。 青森県・東通原発(2005年に運転開始)でも、外部電源が途絶、非常用のディーゼル発電機が、燃料漏れ等で、一時、全てが使用不能となるなど、メルトダウンにつながりかねない異常事態が頻発、高木の想定は、現実の危機となっている。
著作 [編集]
- 『現代の博物誌 プルートーンの火』(1976年、現代教養文庫)
- 『科学は変わる 巨大科学への批判』(1979年、東洋経済新報社)
- 『スリーマイル島原発事故の衝撃 1979年3月28日そして… 』(1980年、社会思想社)
- 『いま、普段着の科学者として考えること』(1981年、オルターナティブを考える会)
- 『危機の科学』(1981年、朝日新聞社)
- 『米ソ核戦争が起ったら』(1981年、岩波書店)共著:西沢信正
- 『プルトニウムの恐怖』(1981年、岩波新書)
- 『元素の小事典』(1982年、岩波ジュニア新書)
- 『わが内なるエコロジー 生きる場での変革』(1982年、農山漁村文化協会)
- 『核時代を生きる 生活思想としての反核』(1983年、講談社現代新書)
- 『ぼくからみると』(1984年、福音館書店)共著:片山健
- 『核に滅ぶか?』(1984年、径書房)
- 『少数派の力を見直す』(1984年、日本はこれでいいのか!市民連合)
- 『単位の小事典』(1985年、岩波ジュニア新書)
- 『いま自然をどうみるか』(1985年、白水社)
- 『科学とのつき合い方』(1986年、河合出版)
- 『エネルギーを考える』(1986年、岩崎書店)
- 『森と里の思想 大地に根ざした文化へ』(1986年、七つ森書館) 共著:前田俊彦
- 『チェルノブイリ 最後の警告』(1986年、七つ森書館)
- 『ヨーロッパ反原発の旅』(1986年、原子力資料情報室)
- 『原発事故 日本では?』(1986年、岩波ブックレット)
- 『われらチェルノブイリの虜囚 ドキュメント・日本原発列島を抉る』(1987年、三一書房)
- 『科学の「世紀末」』(1987年、平凡社)共著:関曠野
- 『科学は変わる 巨大科学への批判』(1987年、現代教養文庫)
- 『あなたをおそう!!チェルノブイリ ひろがりつづける放射能汚染』(1987年、宇宙はてない社)
- 『あきらめから希望へ 生きる場からの運動』(1987年、七つ森書館) 共著:花崎皋平
- 『プルートーンの火 地獄の火を盗む核文明』(1988年、社会思想社)
- 『チェルノブイリ月誌』(1988年、反原発運動全国連絡会)
- 『もし……どっちのみちにいこうかな』(1988年、福音館書店)共著:中野こういち
- 『巨大事故の時代』(1989年、弘文堂)
- 『エネルギーをかんがえる 消費社会をこえて』(1989年、日本ライトハウス)
- 『食卓にあがった死の灰』(1990年、講談社現代新書)共著:渡辺美紀子
- 『核燃料サイクル施設批判』(1991年、七つ森書館)
- 『チェルノブイリ事故抹殺は許されない IAEA報告批判』(1991年、原子力資料情報室)
- 『核の世紀末 来るべき世界への構想力』(1991年、農山漁村文化協会)
- 『原発に子孫の命は売れない 舛倉隆と棚塩原発反対同盟23年の闘い』(1991年、七つ森書館)共著:恩田勝亘
- 『マリー・キュリーが考えたこと』(1992年、岩波ジュニア新書)
- 『反原発、出前します!! 高木仁三郎講義録』(1993年、七つ森書館)
- 『プルトニウムを問う 国際プルトニウム会議・全記録』(1993年、社会思想社)
- 『原発をよむ』(1993年、アテネ書房)
- 『高木仁三郎が語るプルトニウムのすべて』(1994年、原子力資料情報室)
- 『プルトニウムの未来 2041年からのメッセージ』(1994年、岩波新書)
- 『宮沢賢治をめぐる冒険 水や光や風のエコロジー』(1995年、社会思想社)
- 『もんじゅ事故の行きつく先は?』(1996年、岩波ブックレット)
- 『このままだと「20年後のエネルギー」はこうなる』(1998年、カタログハウス)
- 『MOX総合評価』(1998年、七つ森書館)
- 『市民の科学をめざして』(1999年、朝日新聞社)
- 『市民科学者として生きる』(1999年、岩波新書)
- 『若者たちが見た20年目のスリーマイル島原発』(2000年、原子力資料情報室)共著:伊豆英恵
- 『原子力神話からの解放 日本を滅ぼす九つの呪縛』(2000年、光文社→講談社+α文庫)
- 『証言 核燃料サイクル施設の未来は』(2000年、七つ森書館)
- 『鳥たちの舞うとき』(2000年、工作舎)ISBN 978-4-87502-338-8
- 『原発事故はなぜくりかえすのか』(2000年、岩波新書)
- 『人間の顔をした科学』(2001年、七つ森書館)
- 『高木仁三郎著作集』全12巻(2001〜2004年、七つ森書館)
- 『新装版 チェルノブイリ原発事故』(2011年、七つ森書館)
- 『新装版 食卓にあがった放射能』(2011年、七つ森書館)共著:渡辺美紀子
- 『新装版 反原発、出前します 原発・事故・影響そして未来を考える』(2011年、七つ森書館)
- 『いま自然をどうみるか(新装版)』(2011年、白水社)
訳書 [編集]
- ゴッドフレイ・ボイル『太陽とともに 自然と共存する技術』(1978年、現代教養文庫)
- ヘレン・コルディコット『核文明の恐怖 原発と核兵器』(1979年、岩波書店)
- リチャード・J・アンダーソン『原子炉危険性国際研究 グリーンピース委託研究 要約と結論』(1986年、原子力資料情報室)
- リチャード・E・ウェッブ『原発事故はどうおこるか チェルノブイリより危険な軽水炉』(1992年、原子力資料情報室)
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
脚注 [編集]
カテゴリ: 日本の物理学者 | 自然保護活動家 | 東京都立大学の教員 | 日本の反原発活動家 | 高エネルギー加速器研究機構の人物 | マックス・プランク研究所の人物 | 群馬県出身の人物 | 1938年生 | 2000年没 | ライト・ライブリフッド賞の受賞者
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