自分も大道芸人として、1回知り合いの作家に(新聞に記事も書いている)取材されて、写真もバッチリ
撮られて、新聞記事になったけど、なんか、その作家の言いたい事(記事)の"材料"にされた様な記事に
なってしまった。かれは、ブッダのことを書いて、その類型?として、具体例として、大道芸人の俺を
とりあげたようなかっこの記事になってしまった。もちろん、褒めた記事だけど、なんか、俺がブッダ?
かよう?という疑惑?や、戸惑いがそよぐ。やっぱり、記事を書く記者によって、事実(俺の大道芸人)
の様子が、偏向された様な、感じになる。事実は、記者によって、脚色されて、料理されて、御馳走?(記事)
となって、現れる。事実が、そのまま、記事には、ならないのではないか? どうしても、取材した記者の
思惑で、事実(取材された側)が、偏向(変更)してしまうのではないか? それでも、大道芸人の宣伝に
なったので、社会的には、見下されている大道芸人が、新聞記事に出ることによって、一応、社会認知
にはなっただろう。こちらのスペインの新聞では、けっこう、大道芸人の記事が出る。まあ、ようやく、
大道芸人も、りっぱな?一つの職業として、社会的に認められるようになったようだ。でも、まだまだ、
大道芸人を、"乞食"の延長として、考えているひとも多い。あ、あ、貧しい音楽人よ!って感じだ。
たぶん、産経新聞の記事だろうけど、バルセロナのオリンピックの時に、俺に直接話を聞かないで、
だれかほかの人に俺のことを聞いて、それを新聞記事にしたのを読んだことがあった。けど、内容は、
その人に話したことと同じに正確にかいていたけど、それは、本人に直接取材したかのように書く(読める)
のは、間接取材したのに、取材詐欺ではないだろうか? まあ、話した中身はちゃんと正確に書いていたから
文句をつけるのも、野暮かも知れないが? でも、それは、ちょっと、ないんじゃないのか?と思う。
他人から聞いた話なら、きちんとそれを書くべきだろう。それをだまっていて、あたかも、本人に直接
取材したかのような記事に、読めるのは、読まされるのは、どうか? 本人だけが事実を知っていて、読者は
新聞記者が、本人に直接取材して書いた記事と思って、記事を読んでしまう。よまされる?。のは、倫理的に
きびしく言えば、 "詐欺" だろう。それでも、書かれた中身は、俺がは話した内容と正確に同じだったから
良かったもかも知れない。でも、なんだか、府に落ちない。これで、いいんだろうか?
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